シャーロック・ホームズ 小説

 

 

アーサー・コナン・ドイルの「緋色の研究」読み終わりました!

 

きっかけは、ドラマ「シャーロック」のシーズン1第1話のベースになっているからだったのですが、ドラマ同様「面白い!」の一言。

 

年代から言ったら推理小説の古典になるかもしれませんが、話の展開は今も色あせてなく、どんどん話に惹き込まれていきました。

 

 

やっぱり多くの熱狂的ファンを残すだけありますよね。

 

そんなシャーロック・ホームズ・シリーズ第1弾とも言われている「緋色の研究」について、感想を書いてみます。

 

 

そして、小説内に登場した名前や場所も気になったので、ついでにご紹介しますね。

 

 

感想も、気になったところも、すべて個人的な見方ですが、興味があったら最後までお付き合いください♪

 

 

あ、そうそう、小説の感想なので、すでに読んだことを前提にしてるので、ネタバレ部分あります。
ご注意ください!

 

 

 

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「緋色の研究」感想

コナン・ドイルの小説を読むのはこれが初めてですし、読んだのも日本語訳。

 

それでも伝わってくるんですよね、文章の明快さと、時折にじむユーモアのセンス。

 

もちろんホームズやワトスンといった登場人物のキャラもあるのですが、やっぱりドイル文章力が光りますね。
推理小説には外せない、トリックも色あせてませんし!

 

小説は二部構成で、後半部分は事件の背景を描いていますが、この部分が隠し味になっていて、小説に深みを出してる。
事件に関係する人物や、なぜ事件が起きたのかを掘り下げて理解できるのが最高です。

 

 

第一部の感想

シャーロックとワトスンの出会いもいいですよね。
戦争で負傷し、何をするでもなく退屈な日々を過ごしてたワトスンと、変わり者だけど推理力が抜群の「コンサルト探偵」ホームズの出会い。

 

ワトスンとは初対面なのに、アフガニスタン戦争に行っていたことを見抜きましたよね。

 

ホームズの洞察力の凄さが伺える場面でした。

 

空き家で事件が発生して、現場検証をするホームズですが、ここでも彼の独自の視点と卓越した洞察力が描写されていましたよね。
つ、次どうなるんだろう、ってもうすっかり次が読みたくて仕方なくなってしまいました。
ドイルのマジックに完全に引き込まれてる私(笑)。

 

ドレバーが一体何者かもわかりませんしね。
それがミステリアスで、益々読み進めたくなる大きな理由。

 

そして、ドレバーともめたシャルパンティエ一家を登場させたり、「え、ドレバーには同行していた秘書がいたの?」と、話は予想外の展開へ。

 

ホームズが犯人を暴露した時は何がなんだかわからず「え、え、え~?!」でした。
こんな予想外な話の展開。ドイルさん持って行き方ホントうまい。

 

 

第二部の感想

第二部は、時代も舞台も全く違うので、一体何が始まるのやらとざわざわ。

 

またそのエピソードが独立しておもしろかったので、すっかり事件を忘れて読みふけってしまいました。

 

ジョンとルーシーが九死に一生を得てソルトレイクシティに安住の地を構えるところまではよかったですよね。

 

そして、魅力的な青年、ジェファスン・ホープとの出会い。
なんかここまではお決まりのような成功物語で、「よかった~」と、ほっと胸をなでおろしました。

 

砂漠をさまようジョンとルーシーの描写が結構長かったので、モルモン教団に救われるという場面ではすでに2人に感情移入していました^^;

 

 

でも…
推理小説であるからには、不幸がないままハッピーエンド、というわけにはいきませんよね。

 

モルモン教のルールに従えば、ジェファスンとルーシーは結ばれることはなく、ルーシーは一夫多妻制の犠牲となる。
ジェファスン、ジョン、ルーシーが逃亡しているシーンは、「逃げ切れないかも」という、暗闇を胸に抱えたまま読み進めました。

 

もちろん、私の予感は当たりましたけどね~。

 

ジョンとルーシーは、あの時助かったのに…
あの愛らしくて幼かったルーシーが…

 

とまあ、逃避行の結末を知った時は、なんとも言えない気持ちになりました。

 

 

第一部と第二部をリンクさせながら読み進めていけば、「あ、あの人がこの時の」みたいな感じで結末も見えてくるのですが、私の場合、第一部がすっかり頭から抜けていたので、第二部を読み終わってようやく「あ~、そう言えば」と、思い出す始末。

 

それほど感情をつかまれる部分でした。

 

ドイルさん、ほんとすごいわ。

 

事件の背景を知ると、ジェファスンのことは憎めませんし、超人的な粘着力を発揮して、ドレバーやスタンガスンを追い回していたのもわかります。
だから、ジェファスンが自分の復讐を終え、裁かれることなく天に召された時は心なしかホッとしました。寂しい気持ちもしましたけどね。

 

 

そして最後。
事件解決の新聞記事を読んだホームズがワトスンに

「つまりはこれが、われわれの重ねてきたすべての〈緋色の研究〉の結末というわけだ―― あのふたりが表彰されるというのがね!」
(引用:アーサー・コナン・ドイル. 緋色の研究 【新訳版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫) (Kindle Locations 3064-3065). . Kindle Edition. )

 

と、小説の題名に戻って締めくくる。

 

まったく、素晴らしい推理小説の旅でした!

 

 

 

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「緋色の研究」豆知識

「緋色の研究」タイトルの意味は?

「緋色」を「研究」するという意味は、解釈の仕方で変わってきます。

 

「研究」と「習作」

小説の原題は「A Study in Scarlet」。
「緋色の研究」は、訳そのままですよね。

 

でも、これには異論があって、「研究」よりも美術用語により近い「習作」を使ったほうがいいのでは、という主張も根強いんです。

 

確かにホームズは自分の推理活動を「美術」になぞらえて「A Study in Scarlet」と表現していた部分がありましたよね。

 

・・・そうなれば、せっかくのすばらしい研究対象を取り逃がしてたかもしれないんだから。さしずめ、〈緋色の研究〉 なんて、どうだろう。 ぼくらがちょっとばかり美術用語を使っても、悪くはあるまい?人生という無色の綛糸のなかに、殺人という緋色の糸が一筋まじっている。そしてぼくらの務めというのは、その綛糸を解きほぐし、分離して、すべてを白日のもとにさらけだすことにあるのさ。
引用:アーサー・コナン・ドイル. 緋色の研究 【新訳版】 シャーロック・ホームズ・シリーズ (創元推理文庫) (Kindle Locations 939-941). Kindle Edition.

 

普通の人では、なかなかこういう発想ないですね。さすがホームズ。

 

ウィキペディアによれば、美術の世界では「study」のことを「習作」と訳すのが普通なんだそうです。

 

でも、聞こえは「習作」よりも「研究」がいいですよね。

 

それに、ホームズ達の仕事は、緋色の綛糸を分解したり分析して真実を突き止めるわけですから、「研究」のほうがより意味がしっくり来るのではないでしょうか。
もしかしたら著者のドイルは、人並み外れた才能で難問を解決するホームズの推理は、一種の創作的活動と見ていたのかも知れませんね。

 

「デッサン」

私が読んだ創元推理文庫の「緋色の研究」巻末には、戸川安宣さんの解説があります。
戸川さんは、ドイルが自伝「我が思い出と冒険」で「緋色の研究」は当初「A Tangled Skein(縺れた綛糸)」というタイトルだったことから、ドイルの頭には、「緋色の綛糸を解きほぐすデッサン」があったのでは、と解釈しています。

 

「緋色のデッサン」というのも悪くないですね。

 

とまあ、その人によって受け止め方は違うので、「緋色の研究」を巡っては、一つの結論に落ち着くのは難しそう。ただ一つ言えるのは、タイトルはホームズの推理活動を表現しているということです。その表現方法が人によって微妙に違う、ということなんですね。細かいことには気にしない、大雑把な性格のドイルにしてみたら、「『習作』でも『研究』でもどちらでもお好きなように」って、肩をすくめて言いそうですけどね(笑)

 

 

ワトスンが従軍した「アフガニスタン戦争」は?

ワトソスンの時代、19世紀から20世紀にかけて、アフガニスタンでは英国との間で3度戦争が勃発していましたが、ワトスンが従軍した第二次アフガニスタン戦争は、1878年~1881年に起きた戦争です。
この戦争でアフガニスタンは英国に外交権を委ねる保護国となりました。

 

ちなみに小説でワトスンが言った「マイワンドの戦い」は、1880年7月27日に起きたイギリス軍とアフガン軍の戦いで、イギリス軍が大敗を喫しました。

 

 

「クライテリオンのバー」は存在する

ワトスンがスタンフォードと偶然再会した「クライテリオンのバー」は、実在するレストランです。

 

クライテリオンのバー
出典

 

1873年に開店、高級レストランとしての地位を築いています。
また、ピカデリー・サーカスという立地から、今でも多くの劇場鑑賞者や観光客、シャーロックファンなどでにぎわっています。

 

ちょっと高級だけど、機会があったら足を踏み入れてみたいな~。

 

 

トリチノポリー葉巻ってなんだろう

小説の中で、犯人が吸っていたとホームズが指摘した「トリチノポリー葉巻」。
この葉巻は、インド南部のトリチノポリー(現在のティルチラーパリ)で製造された葉巻のことなんですね。

 

どんな葉巻か探してみましたが、いくつか種類がありました。
そのうちの一種類。

 

トリチノポリー葉巻
出典:Online demand revives fading trade of Trichinopoly cigar

 

あ~、いかにも「葉巻!」といった感じの外見。
よーく見ると、葉巻に巻かれているのは…チャーチルさんの写真!

 

英国の元首相ウィンストン・チャーチル(1874-1965)は、葉巻好きでも知られていますが、特にこのトリチノポリー葉巻を好んで吸っていたということです。

 

チャーチルとトリチノポリー葉巻
出典:Online demand revives fading trade of Trichinopoly cigar

 

今はどんどん廃れていくトリチノポリー葉巻ですが、19世紀から20世紀にかけてポピュラーな存在で、ホルヘ・ルイス・ボルヘスやオースティン・フリーマンの小説にも登場しているということです。

 

 

モルモン教について

末日聖徒イエス・キリスト教会が正式な名称で、「モルモン教」は通称です。
「預言者」として新たなキリスト教を立てるよう神からの啓示があったとして、宗教家のジョセフ・スミス・ジュニア(1805~1844)は、1830年に新宗教を設立。
それがモルモン教です。

 

小説では、「一夫多妻制」が強調されていましたが、初期のモルモン教にはこの制度がありました。
ですが、倫理に反すると強い反発を受け、「一夫多妻制禁止」の法律ができるきっかけにもなったのです。
その後、教団の4番目の預言者ウィルフォード・ウッドラフ(1807-1898)が一夫多妻制を廃止しますが、これに一部の信者が反発。
反発した信者たちはコロラドシティーに原理主義末日聖徒(FLDS)という分派を立ち上げました。

 

ちなみに、父の跡を引き継ぎFLDSのリーダーとなったワレン・ジェフス(1955)は、未成年への性的暴行や重婚などの罪で逮捕、有罪判決を受けました。

 

 

小説に登場した預言者ブリガム・ヤング(1801-1877)は、実在の人物。
モルモン教創始者のスミスの後継者として1847年12月に教会の大管長となりました。

 

その後ヤングは信者たち一団を率いて砂漠を渡り、ソルトレイクシティを設立、ユタ州の準知事にもなりました。
小説でもモルモン開拓団の一行が砂漠を渡ってソルトレイクシティに定住した流れになってるので、この話がヒントになってるようですね。

 

一夫多妻制は、スミスの時代からあったと言われていますが、本格的になったのは、ヤングの時代からとも言われています。

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