シャーロック・ホームズ 恐怖の谷 感想

 

シャーロック「死の暗号」のベースになっているのが「恐怖の谷」。
エピソード見終わってから読みましたが、原作もやっぱりいいですよね、ワクワクしました!

 

 

始めはエピソードとリンクしながら読んでいたのですが、そんなことすっかり忘れてしまい、気がついたらコナン・ドイルの世界にドハマリ(笑)

 

ということで、今回は恐怖の谷の感想や、小説に関する豆知識について記事にしてみようと思います。

 

「恐怖の谷」のあらすじについては、以前記事にしたので、興味があったら読んでみてくださいね(⇒ 「恐怖の谷」のあらすじ!ネタバレも)。

 

それでは「恐怖の谷」の感想に行ってみましょう~♪

 

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「恐怖の谷」感想

ええ~!?
というどんでん返しの連続で、始めから終わりまでとにかく大興奮しっぱなし。

 

暗号の予告どおり、ジョン・ダグラスが館で殺害されたというのはなんとなく予想できましたが、それが身代わりだったとは、誰が予想したでしょうか?!

 

パーカーとダグラス夫人、怪しかったですよね。
ワトスンじゃないけど、私もすっかり疑ってました。

 

でも実はそんなことは全く無く、親密だったのはダグラスを匿っているという秘密を共有していただけだったんですよね。
夫が悲惨な死を遂げたのに、そんな態度はないよね、というダグラス夫人でしたが、夫は生きていると知っていたからだったのか…

 

読者の心理を巧みに操るかのようなストーリー展開でした。

 

そして第2部。
ダグラスがジョン・マクマードーと名乗っていた時代の話ですが、ダグラスがマクマードーというのはなんとなく予想できました。

 

しかし…

 

マクマードーが実は探偵のバーディー・エドワーズだったとは!
こんなどんでん返しが待っていたなんて!!

 

これが明らかになった時は、もうホント、びっくりしすぎて言葉になりませんでした。

 

 

シャーロック・ホームズは推理小説の古典に入りますが、今読んでも全く色あせてませんね。
やっぱりコナン・ドイルは推理小説の神さまです!

 

 

恐怖の谷にのめり込んでしまったもう一つの理由は、登場人物たちが、実に生き生きと描かれていたことです。

 

実際に一度も登場していなかったモリアーティ教授ですが、闇組織の黒幕らしいキャラがよく伝わってきました。
そして、モリアーティに恐れをなしているポーロック。

 

登場した刑事たちも良かったですよね。特にスコットランド出身のマクドナルド警部補。
訳が上手だったと思うのですが、アバディーンなまりが出てしまうシーンは、笑ってしまいました。

 

 

恐怖の谷で、一番好きなキャラはジョン・ダグラス。
第1部で魅力的な人物であることはよくわかったのですが、第2部を読むと、怖いもの知らずで男気があって、勇敢で…

 

エティーになりたい(笑)!

 

殺害されたのが、ダグラスじゃなくてホッとしたのもつかの間、最後はモリアーティの追手に命を奪われてしまったではないですか!!

 

これやめてー(涙)

 

運の強い男もモリアーティの手にかかったら、ということを強調したかったのかもしれませんが、ホント残念でしかたないです。

 

 

と、キャラに入れ込み過ぎて納得できない部分もあったのですが、小説自体は好きです。

 

 

堀に囲まれた館は、ジェームズ1世時代に建てられ、内乱を逃れたチャールズ1世が身を隠したという設定でしたが、それを今回の事件によくリンクさせていたところも好き!

 

始めから終わりまで本当~~~~~に楽しめました♪

 

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「恐怖の谷」豆知識

時代設定が不透明

恐怖の谷で一番で決着がつかない争点というと、事件が起こった時代。

 

というのも

  • 第1部は1880年代終わりで、第2部は20年前のはずなのに1875年という設定になっている。
  • 仮に第1部が1890年代とすると、モリアーティ教授の死後(教授は1891年以前に死亡)に起きた事件となってしまう。
  • 仮に第2部を1860年代とすると、南北戦争中の出来事になってしまう。

 

というふうに、辻褄が合わなくなっているからなんですね。

 

なぜこんなことが起きたかと言うと、コナン・ドイルがこの小説を書いた時期に関係があります。

 

小説が発表されたのは1914年で、原稿が出来上がったのは1895年ころと言われています。
シャーロック・ホームズ最後の物語と言われている「最後の事件」(1893年に発表)よりも後に書かれているんですね。

 

なので、1895年から「20年ほど前の事件」という設定になっているのでは、という解釈も生まれていますが、これが一番しっくりきています。
個人的にですが。

 

小説のモデルとなった実話

恐怖の谷は、1870年代に起きた実話をもとに誕生しました。

 

アラッカワナやルザーンといったペンシルバニア州の石炭地帯では、モリー・マグワイアズという秘密結社が幅を利かせていました。
モリー・マグワイアズは、無煙炭採炭企業に対抗するため、アイルランド系坑夫によって結成されたのですが、その手段はストライキだけでなく、脅迫、殺人、誘拐と、暴力も使っていたのです。

 

それを一掃しようと立ち上がったのがフィラデルフィア・アンド・レディング鉄道社長のフランクリン・B・ガウエン。

 

「世界一裕福な無煙炭炭鉱主」と呼ばれるほど、成功した人物として知られるガウエンは、ペンシルベニア州ポッツヴィルで炭鉱事業を行っていましたが、モリー・マグワイアズに対処するため、ピンカートン探偵社に組織の内部調査を依頼します。

 

依頼を受けたピンカートン探偵社は、ジェームズ・マクパーランドを現地に派遣します。
計画通り、組織に潜入したマクパーランドは次第に組織の信頼を得て、情報収集に成功、彼がもたらした情報によって組織は瓦解したのです。

 

聞いただけでも「あ、第2部だ!」ってピンときますよね(笑)

 

ピンカートン探偵社はそのままの名前で出てきましたが、

 

  • モリー・マグワイアズ⇒大自由民団
  • ジェームズ・マクパーランド⇒ジョン・マクマードー/バーディー・エドワーズ

 

が、それぞれモデルになってますね。

 

また、モリー・マグワイアズにはパトリック・ドーマーという委員長がいましたが、マギンティ親分ことジャック・マギンティのモデルとされる人物です。
組織内では過激派がいた反面、穏健派も存在していたと言われています。具体的なモデルはわかりませんが、モリスみたいな団員もいたでしょうね。

 

 

ピンカートン探偵社

アラン・ピンカートンとエドワード・ラッカー弁護士は、1850年にNorth-Western Police Agency(北西警察事務所)を設立しましたが、これが後のピンカートン探偵社になります。

 

アラン・ピンカートン(1819-1884)
アラン・ピンカートン
出典

 

ピンカートンは、南北戦争中リンカーン大統領警護に就き、リンカーンが大統領選に立候補した時は、暗殺計画を未然に防いだことで有名になった人物。
リンカーンが暗殺された時はすでに警護の任務を解かれていましたが、ピンカートンは南部連合に対する諜報活動や南軍のスパイ摘発と活躍したと言います。

 

ピンカートン探偵社は、軍からの要請を受け身辺警護を行っていたほか、ストライキの監視やアウトローの追跡など、企業からも仕事を受注していました。
一時は探偵の数が、アメリカ陸軍の将兵よりも多かったと言いますが、どれだけ大規模な探偵社だったかわかりますね。

 

モリー・マグワイアズの件に始まって、アイダホ州知事暗殺事件など度々世の中の注目を集めてきたピンカートン探偵社ですが、時代と共に労働スパイや犯罪捜査の事業が縮小していき、1999年にはSecuritas ABというスェーデンの警備会社に買収され、2003年にはウィリアム・J・バーンズ探偵社に統合されました。

 

ジェームズ・マクパーランド

巨大な労働組合を瓦解させ、ジョン・マクマードーのモデルにもなったジェームス・マクパーランド(1844-1919)。

 

「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

メガネを掛けて髭をはやしているところは、マクマードーそのものですね!
もともと潜入捜査を得意としていたマクパーランドは、炭鉱夫としてモリー・マグワイアズに潜入、優れた情報収集能力で組織の壊滅に貢献しましたが、それはマクマードーを彷彿とさせるものがありますよね。

 

恐怖の谷は、マクパーランドの活躍に興味を持ったことがきっかけで誕生したということですが、2人に共通点が多いため、それがよくわかります。

 

組織壊滅に貢献したマクパーランドでしたが、裁判の段階になって、モリー・マグワイアズのメンバーやその家族たちが襲われ、相次いで殺されるという、予想外の問題に直面します。
実はピンカートン探偵社に調査を依頼した企業は、組織の壊滅ではなく、劣悪な労働条件を労働者に課した事実を隠蔽し、労働者のストをやめさせることにあったのです。
マクパーランドが集めた情報は、探偵社を通して企業と、メンバーを襲った地元の自警団との間で共有されていたのです。

 

この理不尽さに納得できないマクパーランドは、探偵社に抗議、辞職しようとしますが、説得させられて思いとどまります。
その後もピンカートンで探偵として活動を続け、アイダホ州知事暗殺事件など、事件解決に貢献しました。

 

ブラッドショー鉄道旅行案内(Bradshaw's Continental Railway Guide)

暗号を読み解く本の一つに挙げられたのが、「ブラッドショー鉄道旅行案内」。
実際に出版されていて、しかも世界初の時刻表と言われているんです。

 

ブラッドショー鉄道旅行案内は、英語でいうと「ブラッドショーズ・ガイド」。
「ブラッドショー」は、地図学者で初版の著者ジョージ・ブラッドショー(1800-1853)に因みます。

 

ブラッドショー鉄道旅行案内が創刊されたのは1893年で、地図のほか、説明文や索引、広告などが入り、総ページ数は1,000ページを超えたそうです。

 

ガイドブックはブラッドショー亡き後も刊行され、1961年まで続きました。

 

こちらは1856年度のガイドブック。

 

「恐怖の谷」感想と豆知識

 

ガイドブックと言うより、古典文学の表紙みたいですよね。
画像は上からなので厚みがわかりませんが、1000ページを超すため、辞書のように厚みがあります!

 

持ち歩きにくそう~。

 

この当時どのくらいの大きさだったのかわかりませんが、1930年に発行されたガイドブックは、2.5x2.5x2.5cmと、かなりコンパクトだったようです。

 

ホイッティカー年鑑

ポーロックが暗号作成に使ったのは、ブラッドショー鉄道旅行案内ではなく、ホイッティカー年鑑のほうでした。

 

ホイッティカー年鑑は実在する年鑑で、ジョセフ・ホイッティカーによって1868年初登場して以来、毎年刊行されています。

 

年鑑ということで、その年のイベントや行事、注目されたことなどが取り上げられていますが、それは教育、環境、政治など多岐にわたり、始めは数百ページほどだった年鑑は、1931年には1000ページを超えたそうです。

 

ホイッティカー年鑑はJ Whitaker & Sons(J・ホイッティカー・アンド・サンズ)によって1868年から1997年まで刊行され、その後はザ・ステーショナリー・オフィス社によって刊行されています。

 

 

ジャン・バティースト・グルーズ(1735-1805)

ジャン・バティースト・グルーズは、18世紀に活躍したフランスの画家。

 

市民の生活を題材にした作品が多く、有名なものに
「村の花嫁」
「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

があります。

 

「恐怖の谷」には、モリアーティ教授の部屋に飾られていたという、頬杖をつく女性の絵や、「子羊を抱く少女」が、グルーズの絵として言及されましたが、グルーズは少女像もよく描いていました。

 

こちらもグルーズの作品の一つですが、モリアーティ教授の部屋に飾られていた絵画のイメージが何となくわきますね。
「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

ジョナサン・ワイルド(1683-1725)

 

「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

ホームズの言うように、ジョナサン・ワイルドは実在した人物(活躍したのは1750年代ではありませんが…)。

 

スリだったジョナサンは、そのうち盗品を持ち主に返して謝礼を受け取ることでお金を稼ぐようになりました。
盗品は自分で盗んだものもあれば、他の泥棒が盗んだものもあり、ジョナサンは相手を恐喝して無理やり買い取っていたということです。

 

ジョナサンの「仕事」は拡大し、手口も組織的になっていくのですが、当時のイギリスには警察制度がないという(ああ、恐ろしや)。
取り締まる組織がないので、ジョナサンやりたい放題だったんでしょうね。

 

ですが、ロンドンの治安悪化を重く見た議会は、特別法を制定。
これにより、お金と盗品を引き換えにしていたジョナサンの「仕事」は違法となり、1725年2月10日、ジョナサンは逮捕され、同年5月24日絞首刑に処されました。

 

ジョナサンの処刑は大きな注目を集め、チケットは飛ぶように売れたそうです。
処刑がビジネスになっているとは…すごい時代ですね(汗)。

 

ちなみに、ホームズはジョナサンは小説中の人物ではないと言っていますが、ジョナサンを題材にした長編小説「ジョナサン・ワイルド」(1743年、ヘンリー・フィールディング著)があります。

 

ハーフティンバー造り

 

「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

ハーフティンバー造りは、家屋様式のひとつ。
イギリスでは15世紀から17世紀にかけて一般的に用いられました。

 

木造部半分、壁の部分半分という、面白い作りですよね。
ハーフティンバー造りの家は、観光地など今も見ることが出来ます。

 

ウィリアム赤顔王(1060?-1100)

ウィリアム赤顔王は、イングランド王ことウィリアム1世の三男で、父の死後ノルマン朝イングランド王となった人物。

 

1094年にスコットランド王マルカム3世を撃退し、スコットランド従属に成功しますが、優秀な王というよりも、放蕩・乱脈の限りを尽くした王だったようです。
狩猟中に当たった矢が元で亡くなり、実弟のヘンリー1世があとを継ぎました。

 

なぜ赤顔王と呼ばれているのかということですが、赤ら顔だったとも、髭が赤かったとも言われています。

 

ちなみに小説に出てきた「ジェームズ1世時代」ですが、ジェームズ1世の在位1603~1625年のことと思われます。

 

手燭

 

「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

小説に登場する手燭。電気が当たり前のようになってる現代からすると、歴史を感じさせるアイテムですよね。
事件が起こった時代は1880年代、エジソンが白熱電球を作り商用化をはじめた頃なので、まだろうそくが活躍していたのかもしれません。
その後「ランプがともされ」という記述があるので、併用していた時代なんですね。とても興味深いです!

 

街灯

19世紀、ロンドンに灯っていた街灯は、ガス灯でした。
ちなみに、世界で一番初めに街灯が登場したのは、イギリスのマンチェスターで、1797年のこと。
ロンドンではトラファルガー広場周辺だったそうです。

 

街灯は、タイマーによってついたり消えたりしますが、昔はネジ式で、定期的にネジを巻く必要があるんですね。
ガス灯は現在もロンドンに残されているということなので、観光がてら発見するのも楽しいかもしれません。

 

自転車

自転車が誕生したのは1818年で、事件が起こった時代は、オーディナリー型のペニー・ファージングや、セーフティバイシクルが普及していました。

 

ペニー・ファージング
「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

セーフティバイシクル
「恐怖の谷」感想と豆知識
出典

 

年代的にはペニー・ファージングの方が先に登場し、その後セーフティバイシクルが誕生しました。
ペニー・ファージングが登場したのは、1880年代。当時のイギリスは、なんと、自転車の主要生産国だったんです!

 

イギリスでは日本ほど自転車に乗ってる人を見かけないので、これはかなりびっくりしました。

 

「恐怖の谷」に登場した、自転車を製造したというラッジホイットワース社ですが、これは実在する会社のようです。

 

1868年に創業したラッジ社は、1894年にウィットワース・サイクル社という別の自転車製造会社に買収されましたが、それがラッジ・ホイットワース社です。
ラッジ・ホイットワース社は、自転車製造からバイクメーカーとしても成功を収めたということです。

 

バールストン・ギャンビット(バールストン先攻法)

バールストン・ギャンビット(Birlstone Gambit)は、「恐怖の谷」後に誕生した言葉。

 

バールストン館で殺害されたのは、家主のジョン・ダグラスかと思われましたが、実は別人だった、というトリックがありましたが、それがそのまま「真犯人と被害者が入れ替わるトリック」という意味の単語になったのです。

 

ちなみに「バールストン」は館の名前で、「ギャンビット」は序盤戦を有利に進めるため、手持ちの駒を捨てるというチェス用語。

 

 

バールストン・ギャンビットは、ミステリー小説などにも度々登場しているようなので、覚えておくと損はなさそうですね。

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