『ボスコム渓谷の惨劇』は、シャーロック・ホームズシリーズの一つで、4番目の短編小説。
初めて公開されたのが、1891年に発行された『ストランド・マガジン』で、現在は『シャーロック・ホームズの冒険』に収録されています。
イギリスの片田舎で発生した、とある殺人事件。
被害者の息子が逮捕されたけれど、腑に落ちない点に注目するホームズ。
犯人は一体誰?!
ボスコム渓谷の惨劇のあらすじからネタバレまで解説します!
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ある朝、ワトスンのもとにホームズから電報が届いた。
それによるとホームズは、「ポスコム谷の事件」を依頼され、ワトスンにイングランド西武に同行してほしいという。
ワトスンは急いで支度をし、ホームズの待つパディントン駅へ向かった。
列車の中でホームズは、ワトスンに事件のあらましを話す。
事件が起きたのは、7月3日。
2人これから向かっている村に住む、チャールズ・マッカシーが行方不明になった。
マッカシーは、村の大地主であるジョン・ターナーが所有するハザリー・ファームという農園に住んでいた。
マッカシーとターナーはともにオーストラリアの旧植民地時代からの知り合いで、オーストラリアで財を築いた後、故郷に戻ってきた。
事件当日マッカシーは、自宅を出てボスコム池に向かって歩く姿を最後に行方がわからなくなってしまったのだ。
マッカシーを目撃したというウィリアム・クラウダーは、マッカシーの後を息子のジェームズ・マッカシーが銃を持って歩いていくのを見たと証言した。
2人の姿を最後に見たのが、14歳のペーシェンス・モラン。
彼女の親はボスコム谷荘園の管理人だった。
彼女はマッカシー親子が激しく言い争っているのを見て震え上がり、急いで家に戻って母親に一部始終を説明する。
そして、そこへひどく動揺しているジェームズが来て、父が死んでいると告げる。
マッカシーは、ジェームスが持っていたとされる銃の台尻で殴られたと見られ、ジェームズは逮捕された。
事件は一件落着かと見られたが、多くの人がジェームズの無実を信じていた。
その声はスコットランドヤードを揺るがし、ホームズはレストレードから事件解決の依頼を受けたという。
レストレード警部に迎えられホームズとワトスンは、ジェームズの無実を信じるターナー嬢と待ち合わせ場所で落ち合った。
ターナー嬢によると、ジェームズと彼女は結婚の約束をしていた。
亡くなったマッカーシーは、結婚を賛成していたが、ターナーの父親は大反対だった。
ホームズとレストレード警部は、ジェームズと面会するためヘレフォードヘ向かう。
2人と分かれひとりホテルに戻ったワトスンは、検視審問時における監察医の宣誓証言を読む。
しばらくしてホームズがホテルに戻ってくる。
ホームズによると、ジェームズは2年前、酔った勢いで酒場で知り合った女性と結婚していたということだった(しかし、女性はジェームズが逮捕され絞首刑に処される可能性があることを知ると、結婚を破棄すると言い出した)。
喧嘩の原因は、結婚に煮え切らない息子をマッカーシーが咎めたことがはじまりである。
独自の方法で現場検証するホームズ。
ひととおり終えた後、ホームズはレストレード警部に「これが凶器だ」と言って、石を差し出した。
さらに、犯人の人物像について細かく描写したのである。
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犯人は、ジョン・ターナー。
ターナーはオーストラリアで「バラックのブラックジャック」と恐れられていた追い剥ぎだった。
ある日、金塊輸送隊を襲い金塊を奪ったが、その輸送隊の御者だったのがマッカーシー。
ターナーは追い剥ぎ稼業から足を洗い、イギリスに移住して裕福な生活を営んでいたが、ロンドンでマッカーシーと偶然再会する。
マッカーシーに自分の過去をバラされるのを恐れたターナーは、敷地内にマッカーシー親子を無償で住まわせた。
しかし、ターナーの娘とマッカーシーの息子が恋仲にあることを知ると、マッカーシーに全てを奪われる恐怖に襲われる。
待ち合わせ場所でマッカーシー親子の言い争いを聞いたターナーは、マッカーシーが息子や娘よりも、自分の欲を優先していることを知り、怒りが頂点に達する。
マッカーシーの息子が去った後、ターナーはホームズが凶器と特定した石を、何の躊躇もなくマッカーシーの頭上に振り下ろしたのである。
ホームズは、約束通りターナーの供述書を、マッカーシーの息子が有罪になるのを避ける目的のみ使った。
ターナーは、ホームズに告白してから7カ月後にこの世を去り、マッカーシーの息子はターナーの供述書により無罪となった。